遺伝性血管性浮腫(HAE)は普段元気に過ごすことができます。
診断されるまで
9歳の頃から非常に激しい腹痛と嘔吐を繰り返し、毎月入院していました。原因不明で絶食と点滴をするしかすべがなく、入院のたびに体重が減り、学校へ行くだけでも疲れていました。その後、大学病院へ紹介され補体値が低いことはわかりましたが、脳や胃腸・婦人科系など何も異常はありませんでした。そんなある日、海外の文献からHAEかもしれないと告げられ遺伝子検査を実施しました。
診断されたとき
当時私は14歳で、両親や家族も遺伝子検査をしました。病気がわかるかもしれないという期待と同時に、両親が原因かもしれない、家族も同じ病気なのかという不安でいっぱいでした。結果、私だけHAEでしたが、正直心の中では安堵した記憶があります。
これまで
HAEと診断された後も、同じ病気のほかの患者さんを知らず医師と手探りで治療をしていました。学校で病気を説明すると逆に不安がられ、修学旅行は両親同伴で行きました。行事前後に入院することも多く、精神的なものと誤解されたこともあります。また腹痛の他に手や唇、喉頭浮腫により窒息死しかけたこともあり、進学や就職先の選択は大変悩みました。いつ起こるかわからない発作の不安と死の恐怖で、心から安心して眠れるような日はありませんでした。
HAEを知る医師や患者さんとの出会い
結婚後、初めてHAEを知る医師に出会いました。それまでHAEについて知っている医師に会ったことがなく、その驚きと喜びは忘れません。また、交流会で国内だけではなく世界中に患者さんがいることを知り、彼らに会った瞬間、「同じ遺伝子を持つ」家族のように感じました。具合が悪いことを自然に話せる彼らの存在は大変心強く、今では安心して眠ることができます。
HAEを研究してくださる先生方がいること、同じ病気の人がいること、自分もその一員であることの感謝と希望は、私の人生を大変前進させてくれました。HAEは普段元気に過ごすことができます。どこであれ、適切な治療を受けられるようになることを願っています。